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長野のりんご [お天気]

震度6強 新潟県中越 柏崎市西山町池浦 刈羽村割町新田
長野県北部 飯綱町芋川

平成19年07月16日10時23分 気象庁地震火山部 発表
16日10時13分頃地震がありました。
震源地は新潟県上中越沖 ( 北緯37.5°、東経138.6°、新潟の南西060km付近)で震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は6.6と推定されます。
各地の震度は次の通りです。 二十三夜[やや欠け月]

震度6強 新潟県中越 柏崎市西山町池浦 刈羽村割町新田
長野県北部 飯綱町芋川

震度6弱 新潟県中越 小千谷市土川 出雲崎町米田

震度5強 新潟県上越 上越市大手町 上越市五智 上越市浦川原区釜淵 上越市頸城区百間町
新潟県中越 長岡市千手 三条市新堀 小千谷市城内 十日町市高山 南魚沼市六日町
長野県北部 中野市豊津 飯山市飯山福寿町 信濃町柏原東裏 飯綱町牟礼

震度5弱 新潟県上越 上越市中ノ俣 上越市清里区荒牧
新潟県中越 長岡市幸町 長岡市寺泊一里塚 長岡市寺泊上田町 三条市西裏館 南魚沼市塩沢庁舎
新潟県下越 新潟西蒲区役所 新潟西蒲区巻甲
石川県能登 輪島市鳳至町 珠洲市正院町 能登町宇出津
長野県北部 長野市戸隠

2004年浅間山が噴火。のち新潟中越地震となる。2004年12月26日 スマトラ島沖で大規模な地震津波発生。2001年インド西部地震よりこの地域で大きい地震が増えている。2005/7/23千葉でM5.0の地震。2005年3月福岡大地震。声楽いじめ。2006年福岡中2担任いじめ自殺。文部科学省いじめ乗り出す。大分では2007年6月には約5日間に渡り地震連続。7月には2回豪雨、そして台風4号。それぞれ地震、天災と社会現象が因果で結ばれている。

16日午後3時37分ごろ、新潟県で震度6弱を観測する地震が発生した。気象庁によると、震源地は同県中越地方で震源の深さは約10キロ、地震の規模を示すマグニチュード(M)は5・6と推定される。同日午前10時13分ごろに同県上中越沖で発生した地震の余震とみられる。  震度6弱=新潟県中越▽震度5弱=新潟県下越▽震度4=新潟県上越、佐渡、群馬県北部、長野県北部▽震度3=群馬県南部、栃木県北部、石川県能登 雲の画像 2007/7/11 午後6時54分 

Pv.416

 524_2.jpg2004(平成16)年9月~12月 浅間山噴火 9月1日に21年ぶりに爆発して活動を再開。9月1日の爆発は、大きい爆発音と空振を伴い、噴石を飛散、山頂の北東6kmまで最大3cmの火山礫が降下、北東方向の群馬県・福島県(最も遠いところは相馬市)の一部で降灰[満月]9/1 満月

http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=524&cid=29


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2003年ドンジョバンニの嘘 [声楽科]

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筑波大学附属盲学校 2003年声楽科ドンジョバンニの嘘
声楽かグルみのいじめより
[一方 読谷山さんを演奏会に誘った中島先生は私が『声楽一派から悪口を言われ、共演者にまでわたしの悪口を吹き込んでいる恐れがある』理由でドンジョバンニをやらないとつげると、『君のために共演者を用意してやったんだ。やらなければ授業やらない。そうすれば君も困るだろう、僕はむりにでもやる。』と(激しくピアノで楽譜を何度もたたいた)ドンジョバンニは2月に決まったことを5月になぜ中島先生はわたしに伝えなかったのでしょうか。中島先生は『言い忘れた』と笑っていました。中嶋先生は『僕はただまともにレッスンをしているのに君がついてこないだけだ。学校をやめろと』言われ必要以上にわたしの事を音楽史金子先生など職員に聞いて回った。しかし中嶋先生と読谷山さんは 、読谷山さんのホームページによると2月からドンジョバンニのデュエットのレッスンを始めていたそうです。
 さらに小野山先生はホームルームで私がクラスにいないことを知りつつ悪口を吹き込んだ。谷山さんから・・・]

[さらに小野山先生はホームルームで私がクラスにいないことを知りつつ悪口を吹き込んだ。読谷山さんから頼まれ定期演奏の責任者になったが先生はどうせMはやる気無いから読谷山やれといい。私にはクラスのことは故意に伝えない。音楽科のホームルームや実技試験など皆の前で怒鳴りつける。私が音楽福祉の手伝いで老人ホームにいき舞台を手伝えば奏者がやるのはおかしいとほかの行事のときにもわざわざ皆の前で批判する。Mはあのようなやりかたしか出来ないと。           
  10月定期演奏会のリハーサルの時419で私に対して小野山中島生先は、『君は女目的で学校にきている。』『女に色目を使った。手を出した。』などののり怒鳴りつけ。またドンジョバンニの劇の練習も私の名前を呼ばず呼ばれていないものは出て行け。と追い出した。定期演奏会本番で私が歌う前に馬鹿にするような笑いがあった。本番終了の挨拶の時、音楽科生徒や広瀬先生の見ている前で中島先生は『お前あっち行け』『お前あっち行け』と何度も私を押し出した。]音楽科英語のNOVAうさぎさんもわたしを睨んでいた。2005/5音楽科主任の広瀬先生は中嶋先生がわたしをあっち行けと押し出したところは見ていないと虚偽の発言をした。]]]読谷山さんは笑い者にするつもりは無い。

①私は2003/3月音楽史のとき読谷山さんから、『もしかしたら声楽科で、デュエットをやるかもしれない』、と言う話を柿島君にしていた。その時『どうせMさんは出ないかもしれないからなぁ。』と言う言葉は聞いた。しかし彼女は直接わたしにデュエットの話をしたのではない。
②2002/6チャペルリサイタルの練習のときイタリア語講師中嶋が419で、『いつとは限らないが将来、卒業演奏かなにかで ドンジョバンニをやるかもしれない』からと楽譜のコピーをもらった。
③2003/3声楽勉強会のことで私は読谷山さんから小野山先生からのことづけとして話を聞いた。それをわたしは職員室で小野山先生のところに行き、読谷山さんから話をことづかりましたが、話は50パーセントしか伝わっていない。と言いました。
④2003/3声楽勉強会でもわたしは共演者がだれなのかは声楽教員小野山先生 イタリア語中嶋講師からは聞いていない。またわたしが個人で歌うのか、デュエットなのかも知らなかった。
⑤2003/5には419で私からイタリア語中嶋講師に、定期演奏の曲目、デュエットみたいなことと聞いていましたが、私はやらないと言いました。
イタリア語中嶋講師は、楽譜のコピーはどうした。といいましたが、新学期になり捨てました。といいました。さがしたけれどありませんでした。楽譜のコピーを頂いてからすでに一年が経過していました。
⑥2003/2ころ担任やクラスメートの田淵さんから読谷山さん『コズ』のホームページみたら、と言われた。私がホームページを見たのは2003/9頃です。掲示板のころです。
⑦わたしは④のことはイタリア語中嶋講師には、話ました。『なぜ2003年3月1日の声楽勉強会のとき話してくれなかったんですか。』とたずねました。講師は『そんなことどうでもいい。きみは小さなことにこだわって、男気のないやつだ。こちらが決める事に異議を言わずに従ってもらうだけだ。』とわたしは強要された。2003/6
⑧2003/9小野山先生から『定期演奏会の曲目を提出しろ』といわれ提出した。昼のホームルームで小野山先生が『曲目は提出されたが、こっちで勝手にかえるから』と言い、クラスの人のまえで私の前にたちはだかり、腰に手をあて、 『ふふぅ ふふぅ 』、と言って2回も怖い目をした。結局このことが ドンジョバンニの劇だったことは、わたしは10月のリハーサルまで知らされていない。
⑨これらのことも 私たち声楽科ではMに伝えたが、彼が楽譜をなくすなど、授業の態度が悪いと捏造した。2003

イタリア語中嶋講師はわたしがコピーの楽譜を捨てた事を、『としてきみは態度が悪い。楽譜をせっかくあげたのに捨てるということは、僕の授業に対して全然意欲がない。!!! 一筆書け !!!』と言われた。楽譜は一年前にわたされたものだった。だったらコピーでもしたら。もちろん定期演奏会後、クラスのゴミ箱にドンジョバンニの楽譜を捨てたことは言うまでもない。小野山先生はわざわざ回収して担任にわたし、418で担任から高崎短期大学の封筒で返された。自分の定期演奏会のダビングビデオもドンジョバンニのところはカットした。
読谷山さんはドンジョバンニのことは 『私は話した』 などと言っているでしょう。光春君に。彼女のホームページには2002/2/1あしたからイタリア語の講師の先生と重奏のレッスンがあるとの内容が書いてあった。それどころか読谷山さんは話したたどと言いながら結局は柿島さんに話すだけでわたしには故意に伝えない。わたしは小野山先生には読谷山さんの話しや言づけなどは半分しか伝わらないことをすでに申していた。これもわたしを抜きにして最初から小野山中嶋、読谷山さん等で定期演奏会ドンジョバンニのデュエットを決めていったことになる。

⑩2003/10の定期演奏会のドンジョバンニの役も断る私に対して今度は担任や田淵さんの口を借りて、Aさんも共演してくれて、もう来る事に決まっているのにやらないのか、とわたしがやらなければいけない様に心理的に追い込んだ。2003/5にはわたしは小野山先生に対してもいじめられているのでわたしはやらないと断ったのだが、後今度はイタリア語講師中嶋先生が言ってきた。劇の内容を決めたのもおそらく田淵・大和・堀内でみんなの前で私をドンジョバンニに仕立てて笑わせた。読谷山こずえさんにチョツカイだしたと濡れ衣をかぶせられた。この事に関しては2005/6広瀬先生は『ドンジョバンニの劇はただの劇でMもリハーサルの時に笑った』と言いがかりをつけた。私が笑ったのは共演者に対して私がアドリブをして笑っただけで、私が歌う前奏の時から田淵さん大和さん堀内君などは馬鹿にするように笑っていた。べつに何も可笑しなことなどはひとつもないし、そんなにドンジョバンニの、(手を取り合って)、の前奏が笑うほど可笑しいのでしょうか。
⑪ドンジョバンニの劇の内容は私の提出した曲目解説を無視して、[結婚してくれと必死に頼むドンジョバンニの事を、お金ならチョツトあるとか、愛の妙薬が無ければ結婚できない]などで、これらの事を私と結び付けたいのか堀内君は『ドンジョバンニの劇は最高だったぜ』と私にわざわざクラスで言い、また2003年9月には堀内くんはジョナサンで『今度声楽科で劇やるんだぜー。高等部や信幸君も参加するんだぜー』と言っていたがわたしは劇などやるとは一切声楽科より知らされていなかった。
さらにチラシポスター係りの音楽史金子先生は『ドンジョバンニの曲を3曲ポスターに載せることになった。音楽科会議で全員一致で決めた』と言い、わたしはポスター係りでいやがらせを受けていてドンジョバンニを強要されたので『2曲にして下さい』と頼んだ。
2003/10劇のリハーサルの後、小野山先生は『チョツト薬が効きすぎた』と言い中嶋講師と二人で私のことをニタニタ419で笑っていた。
これはわたしに対して (教育権の侵害) にもあたり、『読谷山さんに色目を使った、学校をやめろと』いう言葉は (人権侵害) にもあたる。また何も知らずに定期演奏会に関わった生徒、教師、観客を欺き学校の行事、生徒利用をする小野山声楽一派なのです。

筑波大学附属盲学校 音楽科の生徒はなにも知らないのである。ブログのドンジョバンニのアクセス数はかなり多いので再投稿します。関わって笑った人覚えておいてください。いまだに附属盲音楽科はいじめを認めていない。それどころか現在いじめの事を知らない生徒に対しては何もなかった、いじめは無かったなどと嘘ぶいている。


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2003年カッキー卒業プレゼント [声楽科]

この堀内くんからもらった柿島さんのCDはジェフネルソンのピアノのヒーリングだそうだ。
2004年3月にわたしは堀内くんの寄宿舎の部屋の掃除を手伝った。その時堀内くんが『これ柿島さんからもらったんだけど、俺はいらねーからMさんにあげる。なんか宗教(キリスト)の曲みたいだぜ』と言っていた。このCDは2003年の卒業式の時に柿島くんが『みんなにプレゼントするから包装紙のラベルを読んでくれ』とわたしに頼んだ。
堀内君からこのCDをもらった時はジャケットは黄色い包装をされていてCD中身は見れない。
私は堀内君に「包装されているのに何故中身がわかるのか」ときいたら、彼は 『チヨットね』 と言っていた。
これは柿島くんが自分の卒業式のとき卒業プレゼントだと女子にくばっていた。小野山先生にもあげたから受け取ってくれ と言って渡したそうだ。彼は同様のプレゼント用のCDを3、4枚持っていて、卒業式前の日曜日に買ったと言っていた。まだ渡していない人もいるみたいだ。

①柿島さんがこのCDをプレゼントしたうちの一人が○○さんであり、卒業式と集合写真を撮る合間の時間にクラスで渡していた。○○さんは『わたしはいまカバンが無いから。すぐに帰るから』と何度も拒否をしていたが、柿島さんはひつこく(小野山先生にもあげたから)と言って○○さんはシブシブ受け取った。わたしは柿島さんからCDをもらった事は無い。柿島さんの卒業時に柿島さんの教会のパンフレットをもらっただけだ。
②柿島さんが声楽科女生徒Yさんに好意を持っていた。わたしが読谷山さんに色目を使ったとぬれ衣を着せられて困っていることを卒業後2005年4月に畑中くんに電話をして告げたら畑中くんは『えぇ柿島さんが読谷山さんに好意を持っていたの??僕は全然知らなかった!!』ととぼけていた。
柿島くんは2003年3月や5月に『Mさんが担任にチクッテ僕を学校に来れない様にした。』とクラスや419で音楽科生徒に触れ回れた。
堀内くんも柿島さんとは連絡をとっているのに、2004年3月には『柿島さんが勝手に俺に会いに来るだけだ。』と、また2003年5月のときも『ピアニカをくれると柿島さんが言ってきただけだ。俺からは呼んでいない。』と嘘をついているがこの二人もしっかりと連絡をとりあって堀内君は附属盲や音楽科の情報を柿島さんに流しているのだ。
③2005年5月にわたしが柿島さんに電話をした。彼はCDをプレゼントしたことも、柿島さんや田淵、堀内くんが読谷山さんに『Mさんは読谷山さんのことが好きだとMさんから聞いた』という嘘を吹き込んだことも覚えていないと発言した。
声楽教員はご自身の名前を使われているのに何の調査もしない。このころから私の廻りの人々で不可解なことが起きた。

④2005年3月27日のわたし宛の声楽科女生徒Yさんのメール。

⑤わたしが読谷山さんとメールしていた時期や柿島さんに電話をしていたのは2002年10月ころです。
2003年5月には読谷山さんは『Mさんが柿島、堀内さんにひつこく電話をして読谷山さんのことを聞いている。わたしはこれが気になる』と発言した。これも彼らの嘘です。
わたしが小野山、中嶋先生からレッスン中に「きみは読谷山さんに色目を使った。チョツカイをだした』といわれたのも2002年の秋頃からです。しかし2006年3月小野山先生は電話で『わたしは読谷山からは何も聞いていない』と嘘をついて音楽科生徒、学校をあざむいている。



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