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高円寺 [日記]

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貞明皇后、節子様は生後すぐに高円寺の農家に里子として預けられます。これは当時の習慣に従ったものと言われています。節子様は、近所の子供達を一緒に裸足で走り回り、食事も特別ではなく、庶民と同じものを召しあがっていました。
ご幼少の頃、五年間お住まいになられお形見として、

『むかしわかすみける里の垣根には 菊や咲くらん 栗や笑むらん ものこころ知らぬほとより育てつる 人のめくみは 忘れさりけり』 
とお詠みになられたお色紙を託されました。  杉並風土記より

 お写真 杉並郷土史会 大河原氏所蔵 

貞明皇后、節子様がこの地にご幼少の時、五年間お過ごされまた、蚕糸試験場に二度もご訪問なさった。この地をお通りになるたびに変わりつつある風景をなつかしまれ、ご養蚕のご反映を願われた。しかし蚕糸試験場が筑波に移転となったおり、跡地には小学校と蚕糸の森公園となってしまい、わずかに試験場の門と守衛場のみが残された。郷土史会では本館をお蚕資料館として保存するように願い出たが、資料館より公園として利用すると可決された。この地でもはや貞明皇后がお住まいになられたことは知るものも少なくまた、わずかに郷土史会の杉並風土記等に記されるのみとなった。
このことを忘れ去られる事無く、後世に伝うべくこの地に伝承として残す手段はないものかと此処に記すと同時に自治体に訴えた次第です。2007/5/31

竹取物語の結末の『不死の薬』すなわち長寿・いのち・未来・永遠が説かれている。お蚕さまも交尾をしたら離れない。いのち・未来・永遠とお徳を説いているのです。
日月の道は貞しくして明らかなり 易経

東京府豊玉郡杉並村大字高圓寺 蚕糸の森60019.gif

むかし見た 田圃の水面 いま薄れ 絹のいとなみ いま消えんとす 〈ももぞの

筑波祢乃 尓比具波麻欲能 伎奴波安礼杼 伎美我美家思志 安夜尓伎保思母 【衆生に衣服を与える菩薩】

しぐれ降る 雨霧かすむ 小筑波の 相模の峰は 明ける蒼さと (金色姫)
【蒼さ---帝の光・渡来文化】

慈愛なる 明けの光の 悲田院 福祉の心 世に受け継がん (日月)
くれないの 心清らか 花は花 月の澄むのも 心もおなじ (月ばな)
桃の花 花の香りは 恋しけど 幾年過ぎし 小春の日より (ももぞの)
いざよふの 月に誘われ 想うにと 秋深まりし 十五夜の月(竹取)
きよ水の 月影浮かぶ 池の水 月に宿りて 我が身も宿す (観月観心)

皇居の養蚕 雅子さまが継承へ 5月11日
皇后さまが皇居で続けられてきた養蚕について、天皇陛下から皇太子さまへの皇位継承後は、新たに皇后となる皇太子妃の雅子さまが受け継がれることになりました。
皇居での養蚕は、歴代の皇后の伝統を受け継いで、皇后さまが、毎年、皇居にある蚕の飼育施設で続けられてきましたが、宮内庁によりますと、来年、皇位が継承された後は、新たに皇后となる雅子さまが受け継がれることになりました。NHK

『興福寺流記阿弥陀仏三尊「若し女人有って、設い男を求めんと欲し、観世音菩薩を礼拝し供養せば、便ち福徳智慧の男を生まん。設い女を求めんと欲せば、便ち端正有相の女の、宿徳本を植えて、衆人に愛敬せらるるを生まん」(産み分け)「皇室のお得はご養蚕のお徳」
http://www.news24.jp/articles/2019/08/07/07477669.html 

三徳はわかる養蚕のお徳がわからい114652.gif無断閲覧持ち出し禁止(自衛隊見るな) 」偏差値50以下おことわり)学会員偏差値40 】断閲覧持ち出し禁止太鼓///全盲 】60019.gif Pv808.Pv878.Pv883 


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