SSブログ

養蚕農家ぬぐえぬ不安.Kelsang Metok  [歴史]

kelsang metok- Ngayi Phayul-Tibetan song                格桑梅 004_0001.jpg

養蚕農家 ぬぐえぬ不安

繭代補填からの転換
  「『将来はこうなる』と、もっと具体的に示してほしい」「本当に、養蚕家はやっていけるのか」――。


 昨年11月21日、飯田市鼎東鼎のみなみ信州農協生産部に、飯田下伊那地方の養蚕農家31戸の半数以上が集まった。県などが開いた「蚕糸・絹業提携支援緊急対策事業」の研修会。農家は、繭代補填(ほてん)に替わる制度への不安を次々と口にした。
繭代補填の廃止を不安に思う北原さん夫婦。冬場の桑畑では、木の根元にわらなどを入れる作業がある(飯田市で) みなみ信州農協の養蚕部会長、北原公(いさお)さん(68)も研修会に出席したが、「『もうお前たちは要らない』と言われているような、新しい制度への不信感はぬぐえなかった」という。
 北原さんは、飯田市郊外の久米地区で代々続く養蚕農家に生まれた。今は妻、孝枝さん(68)と二人で、桑を育て、戸外の蚕室で春、夏、秋と蚕を飼い、年間約1・4トンの繭を生産する。20~30年前には年間5回の飼育で、計約4トン生産して1000万円ほどの収入になった。今、収入は3分の1程度で、その大半は、国による繭代補填だ。農協から勧められ、冬場にはキノコを栽培している。
 昭和40年代まで、飯田下伊那地方には1万戸以上の養蚕農家がひしめき、蚕が桑の葉を食べる「ザー」という音が、あちこちから響いてきた。「蚕の中で人間が生活をしていたようなものだった」と、北原さんは懐かしむ。
今では養蚕を続ける31戸すべてが、65歳以上の高齢者。北原さんも、公務員の長男(41)家族と同居しているが、「趣味ならまだしも、仕事として『一緒にやろう』とはとても言えない」と話す。「10年後は、もう養蚕家はいないかもしれない」というのが本音だ。
上伊那地方の養蚕農家と同事業のグループを組んでいる絹織物会社「マルシバ」(東京都)社長の木下幸太郎さん(61)の見方は、かなり違う。
 11月の研修会には講師として参加し、「品質にばらつきがない、ここの繭は『上』。製糸会社も伊那谷の糸がやっぱり一番と言っている」と、高く評価してみせた。そして、「いい繭を作れれば、必ず生き残っていける制度なんです」と強調した。
大手百貨店向けの着物を扱っている経験から、木下さんは「最近の呉服屋は、産地にうるさくなった」と指摘する。国産の繭や生糸が減り続ける一方で、純国産にこだわる人が増えてきているという。
みなみ信州農協にも、「我々とグループにならないか」という誘いが何件か来ている。新しい制度の本格化に向けて、全国でも数少ない養蚕農家が“引っ張りだこ”になっている。
それでも、北原さんは不安だ。「保護されなければ生き残れなかった養蚕が、保護なしでやっていけるのか」。そんな思いを吹っ切ることは簡単ではない。

【蚕糸・絹業提携支援緊急対策事業】

 養蚕農家と製糸、織物、染色、流通、小売りなど絹製品にかかわる事業者がグループを作り、売れる純国産絹製品作りに取り組む制度。2008年2月から始まった。グループに対して、13年度まで国が助成する。これまでに全国で6グループが誕生した。これに伴い、繭1キロあたり1418円を国が養蚕農家に支払う繭代補填制度は廃止された。同事業が軌道に乗るまでの措置として、10年度までは、同事業への移行を検討している養蚕農家に繭代補填と同額が支払われる。

(2009年1月4日 読売新聞)

日本のシルクの活性化
東京府豊玉郡杉並村大字高圓寺 蚕糸の森

むかし見た 田圃の水面 いま薄れ 絹のいとなみ いま消えんとす〈ももぞの〉

秋篠宮ご一家、養蚕展を見学 2012/3/26 19:22
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG26045_W2A320C1000000/

養蚕天女
http://mainichi.jp/graph/select/makosama/022.html

2f3ac911111.jpgナナイ

安曇野の天蚕、京都の老舗と連携し商品化 .一覧安曇野市 (2009年3月20日) .
天蚕糸を使った試作の織物と天蚕糸
 薄い緑色の光沢を持つことから「繊維のダイヤモンド」と呼ばれ、安曇野市が生産量全国一を誇る同市産の天蚕(てんさん)を使った商品開発に向け、市天蚕振興会と京都府内にある老舗呉服メーカー、織物業者の3者が19日、連携して事業体を立ち上げた。現在市内の天蚕農家は8軒のみ。同振興会は天蚕の付加価値をさらに高め、農家が安定的な収入を得られるようにして、後継者不足解消につなげたい考えだ。
京都市内で同日開いた会合で決定。3者は昨年11月から、伝統技術を出し合い、付加価値の高い商品を作ろうと、国の支援事業を活用して議論を重ねてきた。安曇野市天蚕センターで研修会を開いたり、京都府丹後地方の織物工場を訪れたりした。
事業体では、振興会が供給した天蚕糸を使い、織物業者が着物などの織物に加工。呉服メーカーが販売や商品企画を担う。2009年度から3カ年の事業計画を立て、5月までにあらためて、国へ事業実施に向けた支援の申請をする。計画では、試作品作りや市場調査を行い、09年度中に商品を開発し、販売を目指す。商品は着物を中心とし、帯締めなども試作する。
この日の会合に出席した振興会事務局長の古田春江さん(60)は「安定供給ができるように後継者を呼び込み、しっかりと育てたい」と意気込んでいた。
同市穂高有明では、江戸時代の1780年代ごろから天蚕の飼育が始まった。年間の繭収穫量は約2万4000粒。振興会によると、天蚕糸1キロは、家蚕糸1キロの約70倍の70万円ほどという。
(提供:信濃毎日新聞)


両陛下、天蚕飼育農家をご視察
2010.8.29 12:47

天蚕飼育場を視察される天皇、皇后両陛下=29日午前、群馬県中之条町(代表撮影) 静養のため群馬県に滞在中の天皇、皇后両陛下は29日、中之条町にある天蚕農家、登坂昭夫さん(67)宅を訪問された。登坂さん宅では日本で最も多く天蚕を生産してるという。天蚕は野外で育ち、緑色の繭を作る蚕の一種で、皇后さまも皇居・吹上御苑で毎年、天蚕を飼育されている。
 両陛下は、天蚕が飼育されているクヌギ畑を視察された。皇后さまは「(皇居では)スズメバチの被害に気をつけていますが、大丈夫ですか」とご質問。登坂さんが「サルの被害の方が大きいです」と答えると、陛下は「どうやってサルを避けているのですか」とたずねられていた。


【牽牛子塚古墳】日本書紀の記述そのまま「画期的発見だ」
2010.12.9 20:07
牽牛子塚古墳(後方の墳丘)の隣で見つかった越塚御門古墳の石室=奈良県明日香村 「斉明天皇と間人皇女(はしひとのひめみこ)を合葬する。皇孫大田皇女(みまごおおたのひめみこ)を陵(みささぎ=斉明天皇陵)の前の墓に葬る」。奈良県明日香村の牽牛子塚古墳の前で発見された越塚御門古墳は、日本書紀のこの記述をそのまま裏付けた。大海人皇子(のちの天武天皇)の后になりながら20代で夭折(ようせつ)したとされる悲運のプリンセス、大田皇女。その終(つい)の棲家は、かつて女帝として権勢を振るった祖母・斉明天皇に見守られるかのような場所に築かれていた。
「驚きを通り越して感動した。画期的発見だ」と話すのは、前園実知雄・奈良芸術短大教授(考古学)。「牽牛子塚古墳が斉明天皇陵である可能性は、99・9%から99・99%になった」-。和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(古代史)も「日本書紀のこの時代の記述は、確実な史料に基づいて書かれているとみていい」との見方を示す。
 ただし日本書紀は、大田皇女の人となりについて多くを語らない。幼くして母を亡くし、後に謀反を名目に処刑された大津皇子(おおつのみこ)と姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)の子供2人を残して亡くなったことを淡々と伝える。


天人女房
貴州省の施洞を訪れた著者が、直接ミャオ族の古老から聞いた民話。ミャオ族の焼畑耕作などが見られ、とげや竹や山水の種をまきながら逃げる“呪的逃走モティーフ”も描かれています。中国のミャオ族に伝わる天人女房のお話。天女が夫と子を連れて里帰りすると、父親がむこに難題を課す。


内蒙古自治区の民族衣装
122659_22527999.jpg

_九寨九寨九寨_Jiuzhaigou Valley-Kelsang Metok 22001.jpg

 kirakira13.gifKelsang Metok.格桑梅朵

麻刈る(あさかる)麻刈(あさかり)、夏麻引(なつそひき)、夏麻引く(なつそひく)は夏の生活に関する季語。
夏引の糸(なつひきのいと)=夏蚕の糸(なつごのいと)=新糸(しんいと)新生糸(しんきいと)、夏蚕の糸(なつごのいと)、夏引の糸(なつひきのいと)夏蚕(なつご)の糸、または夏に取った麻の糸をつむぐ意ともいう。
(夏蚕・・かさん) なつごともいい、春蚕・秋蚕との中間、即ち7月上旬から中旬にかけて掃き立てる蚕をいう。上簇時期により春蚕または秋蚕に合算して発表される場合が多い。高冷地帯では、春蚕よりも夏蚕のほうが桑葉も適当なものが得られ、蚕作良好の場合が多い。
[ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)]

なつそ‐びく【夏▽麻引く】 [枕]こくご解説不備
1 夏麻を畑の畝から引く、麻を績(う)むなどの意から、「う」「うな」に掛かるといわれる。
2 麻の糸()の意から、「命(いのち)」に掛かるといわれる。
「―宇奈比(うなひ)をさして飛ぶ鳥の」〈万・三三八一〉
「―命かたまけ刈り薦(こも)の心もしのに」〈万・三二五五〉

 夏の土用 夏蚕宇奈とと宇奈比

「 命かたまけ刈り薦(こも)の 心もしのに/万葉集 3255」夏に取った麻(枕詞)命がけ(刈り薦の(枕詞)乱れて刈る紡ぐいとのよう(枕詞)心細い

私訳】古くから言い伝えて来ていることには、恋をすると苦しいものだとそのように言い継がれてよく知っているものの、(糸を紡ぐ)乙女の気持ちというものが分からず、知ろうとすれば分かりにくく、といって、知るすべもない。玉の緒命がけ)も夏麻を畑から引き抜く(刈る)よう命がけで息も絶え絶えに、(紡いだ糸)のよう心細く乱れて、人知れずむやみやたらに恋焦がれている「西本願寺訳」

夏麻】は糸を紡ぐの意から(糸を紡ぐ)乙女に掛り、それに対して(紡いだ糸)のよう心細く と返している。

[ぴかぴか(新しい)]日本の伝承・・・・・
天女は、天部に住むとされる女性のことで、天帝などに仕えているとされる女官の総称である。
古代中国より天子は天帝を祀ることを義務とされた。これらは歴代の王朝に受け継がれている。商(殷)の甲骨文に上帝の名でこのことが書かれている。
天部==天界のこと。
天帝==天帝(てんてい)は古代中国の祭祀。
インド神話の財宝神クベーラを前身とする。 ヴァイシュラヴァナ・ヴィシュラヴァス 多聞天(たもんてん)とも訳される。毘沙門天。インド神話における水の精で、アプサラス==白鳥。白鳥と白馬[ぴかぴか(新しい)] 


羽衣伝説の天女は白鳥にたとえられているが、丹後型の伝説では.天女はさまよった末ある地に留まる(トヨウケビメ)八人の天女の一人になっている。月天子(勢至菩薩)の相方は観世音菩薩で月天子の天女が白鳥になったのではなく、羽衣伝説や白鳥伝説と結びついたためである。
共通して(羽衣)を隠してしまうのは人間界の(欲)で、人間界と天界の違いを説き天界の天女が再び人間界に生まれ変わった時には過去の天界のことを思い出すという。虹の嫁など。

毘沙門天像の成立と展開―唐・宋から平安へ―ホータン

http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2014/90.html


『能』羽衣・白鳥伝説 天女はどこへ帰っていったか
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kem/bunnka/hagoromo.pdf#search='%E7%BE%BD%E8%A1%A3%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%AE%E5%A4%A9%E5%A5%B3%E3%81%A8%E3%81%AF'

『竹取物語』の「蓬莱の玉の枝」は「優曇華の花」
優曇華(うどんげ)
仏教経典では、3000年に一度花が咲くといい、その時に金輪王が現世に出現するという。『金光明経』讃仏品に「希有、希有、仏出於世、如優曇華時一現耳」とある。また『法華経』、『南史』にも出る。日本の古典文学では、『竹取物語』、『源氏物語』若紫、『宇津保物語』などに用例がある。 【お蚕さま】 
『竹取物語』の「蓬莱の玉の枝」は「優曇華の花」


縄文、古墳時代中国西南部の小国から日本に帰化した神話の神、人々は未来生まれ変わり、天台の時代に仏になる種を植えた。神話の神、人々そのものが仏の種になる。そして法華経を護持し日本に伝えた中国南部小国の機根の優れた人々(釈迦に機縁がある)は末法の世には法華経の功徳により天上界忉利天に生まれ変わる。文上の法華経の功徳は外面・容相に現れる。とは表に現れる。末法の衆生は皆本未有善。そして釈尊の教えを忘れた人々(釈迦に機縁がない)(末代幼稚)日本は昼[晴れ]西蔵は夜[三日月]の国土の人々に音楽や文化を再び伝えに来られるのです『大乗経を以て白馬に負せて漢土に渡す』【お蚕さま

「若し但書写せんは、是の人命終して当に忉利天上に 生ずべし、是の時に八万四千の天女、衆の伎楽を作して、来って之を迎えん。其の人、即ち七宝の冠を著て、釆女の中に於いて娯楽快楽せん」「天より四種桜梅桃李の花ふり虚空乾闥婆に音楽(妙音妙法蓮華の四字経は地)聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄四徳の香の風」「妙法 我波羅蜜・蓮華 波羅蜜・経 常波羅蜜」「故に知んぬ法華は為れ醍醐の正主」「妙とは法性なり法とは無明なり無明法性一体なるを妙法と云うなり「妙楽大師 実相常住は甘露の如し是れ不死の薬」【甘露】天上の神々の飲む、忉利天にある甘い霊液。

『源平盛衰記』 琵琶鐃銅法性の深理・馬鳴菩薩は苦空曲・忉利天宮天人歌舞
kirakira12.gifチベット神話のお姫様が馬鳴菩薩になった格桑梅朵 kirakira11.gifKelsang Metok[やや欠け月][三日月][ぴかぴか(新しい)]

きよ水の 月影浮かぶ 池の水 月に宿りて 我が身も宿す(観月・観

tuWGw6Mb.gif
Kelsang Metok  Sky Marriage.JPG

日本各地チベットの竹姫伝説 

『今昔物語集』 竹やぶ 光る 三ヶ月 空に昇る 「空に鳴る雷」 「優曇華の花」 「打たずに鳴る鼓」
竹姫  石川県鳳至郡 竹やぶ 月 六月十五夜の晩 天に昇る 
竹姫  埼玉県川越市 お竹 七歳 糸車 孝行 天に昇る 大日如来
竹姫  群馬県甘楽郡南牧村 竹の中 煙に乗る 天竺
竹姫  福井県遠敷郡 竹伐り かごや姫 十五夜の朝 天
かごや姫 山形県最上郡 竹伐り 十月十五日 天竺
竹姫  鹿児島県薩摩郡 竹山「赤い飯笥と赤い杓子」天に昇る[たらーっ(汗)] 
斑竹姑娘   チベット 竹山 竹林  竹娘 天女 (歌声) (馬の乳) 三年待つ ①「打っても割れぬ金の鐘」 ②「砕けぬ玉樹」 ③「火鼠の皮衣」 ④「ツバメの巣に金の卵」 ⑤「海竜の首の分水珠」 
仏説月上女経  毘耶離国 城中 楽器  月上女  十五夜 右の掌に蓮の花 空中に舞い上る 虚空 天人舞い 大地は震える 花の雨 音楽を奏でた (うつほ)
竹王伝説 貴州省 侗族 夜郎国 万葉仮名 遯水 洗い物 竹の中 男児 蛙 竹林 竹王


筑波祢乃 尓比具波麻欲能 伎奴波安礼杼 伎美我美家思志 安夜尓伎保思母(万葉)[ぴかぴか(新しい)]

しぐれ降る 雨霧かすむ 小筑波の  相模の峰は 明ける蒼さと (金色姫)[ぴかぴか(新しい)]


輪陀王の故事
『輪陀王という賢王は白馬の声を聞いて成長した。白馬は白鳥を見て鳴く馬だった。王はたくさんの白馬を集めて飼っていたので万民も国も栄えた。ところがたくさんの白馬が逃げ出してしまった。王はたちまち威力を失い天も曇り地も震え大風、飢饉疫病が流り他国からも攻められた。王は外道の法師を集めて祈禱した。しかし白鳥も白馬も現れなかった。そのとき馬鳴菩薩というひとりの僧が外道の祈りを止め仏教に祈禱すれば白馬を鳴かせることができるであろうと王に進言した。王は馬鳴菩薩に祈祷を命じた。たちまち一羽の白鳥が何処からともなく飛んできた。白馬は白鳥を見て鳴いた。千羽の白鳥が集まると百千の白馬も同時に鳴いた。大王も元気になり后も喜び人々は手を合わせて拝んだ。他国の者も王に頭を下げた。』

月うさぎ  月で兎が不死の薬をつくという故事が中国に残っている。北京城下の流行り病を見かねた月宮の蟐娥が玉兎を地上に降ろし病を治したという故事もある。この不死の薬が餅つきに変化して望月となったそうだ。
インドでは月のことを兎といい、また今昔物語には「今は昔、天竺に兎・狐・猿、三の獣ありて、共に誠の心を発して菩薩の道を行ひけり。」身を焼いた兎が永遠に月に住む事を許され、古くから月の使者と言い伝えられている。


チベット神話と北斗七星とこと座kirakira03.gifチベットモンゴルに伝えたいだけkirakira03.gif

チベットのタンカに夜の女神として描かれているターラー女神(風)多羅神(ターラー)。北斗七星は占星の天枢星で道教でも崇められチベットに伝わった。多羅(ターラー)とは眼、瞳(瞳子)のことで闇夜を光明をもって照らし、星の意味をもつ。チベットの緑ターラーは大地の神とされ(瞳)にたとえ、白ターラーは大海を白目とたとえられている。不思議なのは多羅神(ターラー)は『川を横切る』という意味があり、チベットのタンカにも織女星(こと座のベガ)が描かれている。日本では(こと座のベガ)が妙見星(たいへん視力良い)とされている。唐から多羅神(ターラー)が伝わり摩多羅神となったという伝承があるkirakira03.gif【お蚕さま】

二十八宿に新しい生命が誕生した。星に命が誕生したと同時に地球上でも織姫が生まれてくる。


12月1日 英王立天文台の研究チームは、織姫星として知られる、こと座の恒星ベガが、地球に似た惑星を持っている可能性があるとの分析結果を発表。電波望遠鏡で観測した結果、海王星ほどの惑星が海王星と同様の軌道で回っていることを発見し、その内側に地球型惑星がある可能性を指摘している(織姫)
http://astro.ysc.go.jp/izumo/tanabata.html

ph800b.jpg

陣馬高原・八王子上恩方 明和4年丁亥六月吉日 馬鳴信仰http://www.hachioji-kankokyokai.or.jp/yuyake/y-top.htm

141901.gif九寨溝民俗文化村
http://www.jtb.co.jp/kaigai_guide/china/people's_republic_of_china/JZG/105333/

チワン族の伝統文化としては銅製の太鼓「銅鼓」も知られている。銅鼓は中国南部からベトナムなどにかけて、出土品も多い。銅鼓は宗教的な意味を持つ楽器として使われてきた。また、インドネシアのガムラン音楽で多用されている銅製のゴングとの関連を指摘する声もある。
チワン族などに伝わる民族楽器。
天琴は撥弦楽器(弦を弾いて演奏する楽器)の一種で、ベトナムから広西チワン族自治区にかけて伝わっている。現地語では「ディン」とも呼ばれ、1000年前から演奏されているとの見方がある。龍州では出土例もあるという。
抱えて演奏する弦楽器の分類上の着目点のひとつに、棹(ネック)と共鳴胴の関係がある。中国の二胡や三弦などは棹が共鳴胴を貫通しており、琵琶では共鳴胴の上部と棹が一体化している。天琴は前者で、基本構造は中国の三弦が日本に伝わり改良されてできた三味線に近い。


長江文明・・・
稲作が中心であり、畑作中心の黄河文明との違いからどちらの農耕も独自の経緯で発展したものと見られる。長江文明の発見から稲(ジャポニカ米)の原産が長江中流域とほぼ確定され、稲作の発祥もここと見られる。日本の稲作もここが源流と見られる。

http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000116_all.html
[有料]歌垣と神話をさかのぼる
 少数民族文化としての日本古代文学
[有料]


http://homepage3.nifty.com/offi-kd/sub02110.html

[グッド(上向き矢印)]基本的音律の確立より[るんるん]

http://www.sketto.com/densuke/touyou/2_1.htm

平安わざうた慣例律 雅楽の理論は学校では教えていない

中国四川省の南部高原地帯の、貴州省に居住する苗族やチワン族に伝わる歌墟の芸態 は、我が国の古代の《風土記》や《万葉集》などにも記された習俗芸能、『歌垣』(X歌) と全く同様のものを今に伝えるものとして有名です。


http://www.china.jpn.org/55.htm
羌人、秦人、徐福と吉野ヶ里
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2009-11/19/content_18917565.htm

お田植え、ご養蚕 ルーツは古代中国の帝王儀礼
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/01291/contents/071.htm

ただガムランについては、学校で2002年に『祭祀として残っているのは、インドねしあのガムラン音楽だけだ』というお話を聞いただけだ。しかしインドねしあだけではなかった。日本の宮中行事の祭祀も中国の農村祭祀も厳然として残されているし、農村祭祀と万葉の習俗芸能『歌垣』の土俗的音楽文化が宮中音楽文化に影響を与えていったこと。小数民族の農村祭祀や『わらべ うた』などが平安期以前の土俗的音楽文化の手がかりになるということが、雅楽の理論で解き明かされている。


[三日月]①伝播②渡来説③神話が同時に発生[三日月]

Wokou.jpg

インドの神話・・・シュメール族の発祥は中央アジア崑崙(コンロン)、コタン文明を築いた。インド文明のアーリア人、ポリネシア、マレーシア、インドネシアの民族もシュメール族である。また釈尊は須彌王・スメルもシュメール族の子孫。また印度の月氏も中央アジアを根拠地としている。須彌王・スメル王は日本神話ではスメラノミコとされ、天照太神は大日如来の仮の姿とされ、聖徳太子以降の王族(王朝)は南岳大師すなわち(観世音菩薩)の末流なのです。光明皇后。シルクロードの中心都市は和田(ホータン)でホータンは、中国外で絹が生産された初めての場所だった。涿鹿の戦いで蚩尤に加勢した九黎族は三苗族となった。九黎族は苗・ミャオ族(モン)族の祖先です。崑崙山に黄帝の宮殿がありました。黄帝の妻の雷祖は養蚕を始めその後四川にながれついた。後漢書』西羌伝では「羌の源流は三苗、姜氏の別種」(日本音楽史)【水難の相・・スマトラ[三日月][やや欠け月]

『古事記』における養蚕起源神話
http://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/bitstream/10959/2697/1/gakushuinjyoudai_19_29_38.pdf
中国 四川省 九寨溝でM7.0の地震 中国地震局  8月9日 0時37分

中国地震局によりますと、日本時間の8日午後10時19分ごろ、中国内陸部・四川省の九寨溝を震源とするマグニチュード7.0の地震がありました。震源の深さは20キロと推定されています。

中国国営の新華社通信は、現地では家屋が倒壊しており、住民たちが速やかに避難を行っているとの情報を伝えています。

また、国営の中国中央テレビは、現地の映像を伝え住宅の天井の照明が大きく揺れている様子がわかります。

九寨溝は、世界遺産にも登録され、中国有数の観光地になっています。

一方、新華社通信の英語版によりますと、震源からおよそ300キロ離れた四川省の成都でも揺れが感じられたということです。

四川省では過去にもマグニチュード7.0以上の地震が起き、多数の被害が出ています。NHK 月齢15.7[満月]

中国 四川省の地震 20人死亡431人けが 救出活動急ぐ 8月10日 18時20分

8日、中国内陸部・四川省の観光地、九寨溝で起きたマグニチュード7.0の地震では、これまでに20人が死亡し、431人がけがをしていて、山崩れなどで道路が寸断される中、中国当局が救出活動や被災者の支援を急いでいます。

中国・内陸部の四川省では、8日夜、九寨溝を震源とするマグニチュード7.0の地震が起き、地元政府によりますと、これまでに観光客を含む20人が死亡し、431人がけがをしました。現地では、広い範囲で山崩れや落石によって道路が寸断されており、中国当局は救出活動を急ぐとともに、救援物資を運ぶなど被災者の支援を進めています。NHK

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170810/k10011096181000.html?utm_int=detail_contents_news-related-auto_001

★Pv.8629 【無断使用持ち出し禁止 太鼓///全盲】2010/12 養蚕農家 ぬぐえぬ不安 Kelsang Metokkirakira12.gif 歴史 8,631.8722



吉祥天女の舞いを吉祥のしるしととらえ、役行者とともに、伊勢神宮内宮に祀られる女神(天照坐皇大御神荒御魂瀬織津姫)を天の安河の日輪弁財天として祀った。この時、吉祥天が五回振袖を振ったのが、五節の舞として、現在にいたるまで、宮中の慶事の度に催されている。吉祥悔過会とは奈良時代に始まったもので、年の初めに宮中や諸大寺において吉祥天像を祀り、過去の罪障を悔い改める(悔過)とともに、国家の繁栄や国民の幸せ、五穀豊穰などを願って営まれたものである。『続日本紀』には天平神護3年(767年)称徳天皇によって吉祥悔過会が行われたことが記録されている。

「若し但書写せんは、是の人命終して当に忉利天上に 生ずべし、是の時に八万四千の天女、衆の伎楽を作して、来って之を迎えん。其の人、即ち七宝の冠を著て、釆女の中に於いて娯楽快楽せん」 三身三徳 金法身・黄金の光 光報身・慈悲智慧の照 明応身・広大利益を与える『化身=事が同・応身=意が同・法身=体が同 我と常』楽=自在神力(用) 『所有の法(名) 自在神力(用) 秘要之蔵(体) 甚深之事(宗) 宣示顕説(教)』

金光明経「三十三天忉利天各瞋恨を生ずるは其の国王悪を縦にし治せざるに由る」
蒙古 金光明経「悪人を愛敬し善人を治罰するによるが故に乃至他方の怨賊来りて国人喪乱に遇う」「本果妙を明さば、本初所行の円妙の因は、常楽我浄を契得し究竟す、乃ち是れ本果なり 」【無断閲覧持ち出し禁止【 」偏差値50以下おことわり)学会員偏差値40 】

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学校