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東アジアの民族音楽 女媧伝説 [歴史]




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中国南部(苗)の歌垣を平安遷都で聞いた。・・・大歌など古代歌謡はどのように謡われていたのか。
日本・神話と歌の国家 工藤隆 著
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=4098

貴州省徳江の儺堂戯
http://www.flet.keio.ac.jp/~shnomura/tokkou2/tokkou2.html
儺堂戯はお能のルーツといわれている

中国における『伝承機能音階』の成立と変容

https://glim-re.glim.gakushuin.ac.jp/bitstream/10959/2767/1/chosakenkyu_25_29_104.pdf#search=%27納西+音階%27


H0000185193.jpg佐賀 歌垣公園
http://jasaga.or.jp/news/archives/283


神話のお姫さまは本当にいる

なぜ満月の夜に音楽をかなでるのか?[やや欠け月][三日月][満月]

女媧伝説

http://dreamer-tottori.com/adventur/zimototanbou/kokufu/adventur_kokufu.html

少数民族の苗族の神で、『淮南子』には共工が帝王になれずに大洪水を起こしたとき、女渚浮ヘ五色の石で天を修復し、洪水をせき止めた。その姿は半蛇で弥生時代に日本の因幡今木山に女媧伝説が伝わったとされている。
女媧は中国少数民族の苗族が信奉した神と推測されている。世界を修復する説話『史記』「三皇本記」には、五色の石で補修した世界がそもそも虚れた原因を、羌族が信奉する水神共工が暴れたためとしており、苗族と羌族との戦乱が神話に反映したと言われている。


蚩尤
秦の時代までには、蚩尤は五兵(五種類の兵器)の創始者とされ、兵主神とも呼ばれて祭祀の対象となっていた。司馬遷『史記』封禅書には、蚩尤は「兵主神」に相当するとされ、戦の神と考えられている。兵主神の祭りは、のちに日本にも伝えられた。


渡来した王女姫
春秋時代「呉」と「越」は互いに争うようになる。「呉」は太伯、「越」は禹の苗裔で 夏 后帝少康の後裔と称した。稚日女姫は中国の江南の呉王国の王女として生まれた。姉は大日女姫という。
「呉」は「越」に滅ぼされ、紀元前334年、「楚」威王は攻め込んできた越王無彊の軍勢を破り、逆に越に攻め込んでこれを滅ぼした。「楚」は紀元前223年始皇帝秦氏に滅ぼされた。当時倭国には金・水銀・鉱脈が豊かで、国の乱れから逃れて呉越同舟で南九州に向かった。
姉の大日女姫は南九州にとどまり、妹の稚日女姫は北九州に鉱脈を見つけ八幡や佐賀の嬉野へ移動した。のち四国から淡路を経て和歌山の紀ノ川に落ち着き奈良 方面にもその勢力をのばした。紀ノ川の神武天皇の軍団は稚日女姫と一族を迎え入れた。
和歌山の物語を丹生都姫伝説という。東京の西多摩郡、埼玉の川口・飯能・秩父・児玉郡には、丹生ゆかりの神社がある。


シルクロードの旅 クチャ
http://www.saiyu.co.jp/special/silkroad/midokoro/qucha/qucha.html

http://www.yumeoribito.jp/know/kiso/01/01_1.html
味摩之に関する記述 田辺尚雄先生(河慧海師の説)
味摩之とは西蔵語で不死の人(芸術家)の意味で、味摩之が伝えた伎楽は西蔵楽舞・シド神による古代印度舞楽の一種であるとしている。また味摩之とは西蔵語で百済の高僧の意味である。しかし根拠となる資料は無い。「聖徳太子伝暦」には味摩之は舞人の惣名也。と記されている。

おしらさま
おしら様は、女の病の治癒を祈る神、目の神、子の神としてのほか、農耕神として田植え、草取り、穀物の刈り入れなどに助力するともいう。また『遠野物語拾遺』には、かつては狩人が狩猟の際、どちらの山に行けばいいかを知るため、おしら様の神体を両手に持ち廻し、その馬面の向いた方角へ行く風習があったため、おしら様は「お知らせ様」であろう、とある。地震、火事などの予知力もあり、『遠野物語拾拾遺』では、おしら様を鉤仏(かぎぼとけ)と称し、正月16日の「おしら遊び」の日に子供がたちが1年間の吉凶善悪の神意を問うたという。この起源を中国の『捜神記』(晋代干宝撰)、『神女伝』(唐代)に求める説がある(「蚕女」)。おしら様信仰誕生の背景に山神信仰や、養蚕作業、生活の糧の馬に対する信仰その他が混ざり、原初的な多様な性格を有する神として成立したものとする見方もある。伝承 Wik

kkynimg.jpgシャングリラ梅里雪山

 http://www.nihonryoko.com.cn/tour/detail.php?id=299

縄文人は「胴長短足」=南方起源ではない? ―渡来系弥生人と変わらず・国立科博
時事通信 11月14日(土)5時14分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151114-00000010-jij-sctch

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO82203470R20C15A1000000/

 旧石器人、南方系の顔つきでした 石垣島の人骨から復元 2018年4月21日
https://www.asahi.com/articles/ASL4M3JX3L4MTLZU001.html

羌族信仰と嵩山中岳(五岳)
http://1000ya.isis.ne.jp/1452.html


D系統(北方古モンゴロイド)を持つ日本人の異質さが際立って見える。
またこのD系統は、アジア人種よりも地中海沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間であり、Y遺伝子の中でも非常に古い系統である。東アジアの地域全体には南方系O系統が広く分布し、島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったと考えられる。

チベット系民族の遺伝子
Y染色体のDNA塩基配列の国際的分類法(YCC2002)によるAからRまでの18種の大分類のうち、Alu配列と呼ばれる約300個の特定の塩基配列(YAP+因子)を持つのはDグループとEグループのみであり、DグループとEグループはおよそ5万年前に分化した近縁グループである。そのうち、Dグループが相当な頻度で存在するのは日本とチベットおよびアンダマン諸島のみである(日本では35%前後、沖縄では55%前後、、アイヌでは88%前後、チベットでは約30~50%、アンダマン諸島南部では100%)。
つまり、Y染色体にAlu配列(YAP+因子)を持つ者が相当頻度で存在する地域は、アジアではチベット(D1a)と日本(D1b)、アンダマン諸島(D*)のみであり、日本人のY染色体の30~40%については、DNA塩基配列が近縁関係にあるものは周辺国等になく、チベット、アンダマン諸島のY染色体と近縁関係にある[3]。WiK



遠野市で震度5強 津波の心配なし
日本テレビ系(NNN) 7月23日(土)14時2分配信

気象庁によると、23日午後1時34分ごろ、地震があった。震源地は宮城県沖。震源の深さは40キロ。地震の規模を示すマグニチュードは6.5と推定。この地震による津波の心配なし。

震度5強を観測したのは、遠野市。
震度5弱を観測したのは、花巻市、滝沢村。
震度4を観測したのは、階上町、盛岡市、大船渡市、北上市、一関市、陸前高田市、釜石市、八幡平市、奥州市、矢巾町、金ケ崎町、平泉町、藤沢町、大槌町、山田町、普代村、一戸町、石巻市、塩竈市、気仙沼市、登米市、栗原市、大崎市、松島町、涌谷町、宮城美里町、南三陸町。

皇太子ご夫妻、岩手県をご訪問 スーパーマーケットの跡地などを視察される
フジテレビ系(FNN) 8月5日(金)19時12分配信
皇太子ご夫妻が岩手県を訪問された。
皇太子ご夫妻は自衛隊機で花巻空港に到着後、津波ですべて流されるという被害を受けたスーパーマーケットの跡地などを視察され、説明を受けたあとには深く頭をお下げになる場面も見られた。
最終更新:8月5日(金)19時12分


民族音楽の授業・・・渡来人研究会(秦氏について)
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/hata

アジア音楽 = 民族音楽の授業のこと。
民族音楽概論はほとんど授業がなかった。アンサンブルの授業では、モンゴルはホーミーと言うだけでした。

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