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雲井のかくやびめ [日記]

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源氏物語  絵合

左の梅壷の女御の方・・・・・
物語のいできはじめのおやなる竹取のおきなにうつほの俊蔭を合はせて争ふ。
 「なよ竹のよよにふりにけること、をかしき節もなけれど、かくやびめのこの世の濁りにもけがれず、はるかに思ひのぼれるちぎり高く、神代のことなめれば、あさはかなる女、目及ばぬならむかし」と言ふ。

右は、かくや姫ののぼりけむ雲居〔くもゐ〕は、げに、及ばぬことなれば、たれも知りがたし。この世のちぎりは竹の中に結びければ、くだれる人のこととこそは見ゆめれ。ひとついへの内は照らしけめど、ももしきのかしこき御光には並ばずなりにけり。・・・・・・絵はこせのあふみ、てはきのつらゆき書けり。かむやがみにからのきをばいして、あかむらさきの表紙、したんの軸、世の常の装ひなり。
 「としかげは、激しき波風におぼほれ、知らぬ国にはなたれしかど、なほ、さして行きける方の心ざしもかなひて、つひに、人のみかどにもわが国にも、ありがたきざえのほどを広め、名を残しける古き心を言ふに、絵のさまも、もろこしと日の本とを取り並べて、おもしろきことども、なほ並びなし」と言ふ。・・・

大意
左方は竹取物語は物語としては古く、最初の物語でありきたりもないが、かくや姫は天上の人で、神代より、月に帰るお約束をしていた。またかくや姫はこの俗世にも汚れひとつないところは、俗世の女人の及ぶところではない。

つぎに右方の反論は、かくや姫の昇天した雲井・雲居は誰の手にもとどかぬ所。
誰も分かりますまい。竹の中で生まれたとは、身分の低き者。その光はひとつの家はてらせども、みかどの光とは並ぶことはない。・・・・・絵は巨勢の相覧が描き、きのつらゆきが説明している。絵巻物は中国の織物で裏打ちし、赤紫色の表かみと紫檀の軸は常なる物。
うつほのとしかげは、激しい波風にあおられ知らない国に放たれたけれど、目指した念願も成就し、ついには中国でも我が国でも、めずらしい楽器を演奏して認められ名を後世に残し、絵も中国と和風をとりまぜて、この世に並ぶものはない。・・・

①かくや姫の昇天した雲居・雲井はお琴の調子のひとつで、雲井をひびかせるのはお琴の霊力で神のもの、また奏でる者も神々の子でなければならない。
うつほ物語にも、天人が舞い降り賛嘆し、花が咲き、六月に雪が降ったと記され、静かな琴の音が土の下をも響き、人も空に浮いているようで、天空の月にい色々な雲が集まり舞い、高らかなときは、雲・月・星もさわがしい。とお琴の音と音楽性が描写されている。

つゆしげき 紫式部集

箏の琴しばし」といひたりける人、
 「参りて、御手より得む」とある返事に

露しげき 蓬が中(もと)の 虫の音を おぼろけにてや 人のたづねむ

源氏物語

女四人による合奏

大和琴にもかかる手ありけり」と聞き驚かる。深き御労のほどあらはに聞こえて、おもしろきに、大殿御心落ちゐて、いとありがたく思ひきこえたまふ。
箏の御琴は、ものの隙々に、心もとなく漏り出づる物の音がらにて、うつくしげになまめかしくのみ聞こゆ。
 琴は、なほ若き方なれど、習ひたまふ盛りなれば、たどたどしからず、いとよくものに響きあひて、「優になりにける御琴の音かな」


夕霧

大将殿は、君達を御車に乗せて、月の澄めるにまかでたまふ。道すがら、箏の琴の変はりていみじかりつる音も、耳につきて恋しくおぼえたまふ。


①紫式部が琴と筝の語をそれぞれ使い分けて用いています。この時代は宮廷音楽・中国大陸より伝わった大陸の音楽で琴も筝も宮中でもてはやされていました。琴とは広義には琴類の楽器。狭義には七弦琴。筝とは現代の雅楽と俗筝・十三弦箏だそうです。
②筝の琴とは、そのまま十三弦箏と訳す場合があります。同時に演奏の方法や用い方の相違、すなわち合奏の主旋律を担当するものではなく、他の楽器の音色の合間合間に奏でられるお琴ということになります。
③琴と御琴の意味。単独で琴と用いる場合と、琴の琴と記される。七弦をさします。女三の宮の琴の琴の様にまだ習いたてのお琴のことであるのに対し、御琴は琴は神聖なるもので、琴と申すは禁なり、また目上の方に対しての御琴の意味とも解釈されます。また琵琶の御琴などにも用いられています。御琴は琴我心中・・・お琴は我の心の支え。紫式部集の箏の琴は自分に対しての問いかけなので御琴とは使われないのでしょう。大和琴と和琴を区別している意味は不明です。ともに六弦で日本で発展したお琴だそうです。


新春正月十六日の夜に姫君の琴を聴く[やや欠け月][三日月][満月][半月]

御琴

二十日あまりの月さし出でて、こなたは、まださやかならねど、おほかたの空をかしきほどなるに、書司の御琴召し出でて、和琴、権中納言賜はりたまふ。さはいへど、人にまさりてかき立てたまへり。親王、箏の御琴、大臣、琴、琵琶は少将の命婦仕うまつる。上人の中にすぐれたるを召して、拍子賜はす。いみじうおもしろし。

楽所遠くておぼつかなければ、御前に御琴ども召す。兵部卿宮、琵琶。内大臣、和琴。箏の御琴、院の御前に参りて、琴は、例の太政大臣に賜はりたまふ。せめきこえたまふ。

物の師ども、ことにすぐれたる限り、双調吹きて、上に待ちとる御琴どもの調べ、いとはなやかにかき立てて、「安名尊」遊びたまふほど、「生けるかひあり」と、何のあやめも知らぬ賤の男も、御門のわたり隙なき馬、車の立処に混じりて、笑みさかえ聞きにけり。

蔵人所の方にも、明日の御遊びのうちならしに、御琴どもの装束などして、殿上人などあまた参りて、をかしき笛の音ども聞こゆ。

宮の御前に琵琶、大臣に箏の御琴参りて、頭中将、和琴賜はりて、はなやかに掻きたてたるほど、いとおもしろく聞こゆ。宰相中将、横笛吹きたまふ。折にあひたる調子、雲居とほるばかり吹きたてたり。弁少将、拍子取りて、「梅が枝」出だしたるほど、いとをかし。

とりどりにたてまつる中に、和琴は、かの大臣の第一に秘したまひける御琴なり。さるものの上手の、心をとどめて弾き馴らしたまへる音、いと並びなきを、異人は掻きたてにくくしたまへば、衛門督の固く否ぶるを責めたまへば、げにいとおもしろく、をさをさ劣るまじく弾く。

琴は、兵部卿宮弾きたまふ。この御琴は、宜陽殿の御物にて、代々に第一の名ありし御琴を、故院の末つ方、一品宮の好みたまふことにて、賜はりたまへりけるを、この折のきよらを尽くしたまはむとするため、大臣の申し賜はりたまへる御伝へ伝へを思すに、いとあはれに、昔のことも恋しく思し出でらる。

年ごろ行なひの隙々に、寄り臥しながら掻き鳴らしたまひし琴の御琴、琵琶とり寄せたまひて、掻い調べたまひつつ、仏にまかり申したまひてなむ、御堂に施入したまひし。

内には、御茵ども並べて、御琴ども参り渡す。秘したまふ御琴ども、うるはしき紺地の袋どもに入れたる取り出でて、明石の御方に琵琶、紫の上に和琴、女御の君に箏の御琴、宮には、かくことことしき琴はまだえ弾きたまはずやと、あやふくて、例の手馴らしたまへるをぞ、調べてたてまつりたまふ。

 なほ鈴虫の声ぞふりせぬ」
 など聞こえたまひて、琴の御琴召して、珍しく弾きたまふ。宮の御数珠引き怠りたまひて、御琴になほ心入れたまへり。

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中国琵琶の名称にも琴という言葉がみられます。琵琶の頚部は山口、相、琴枕、琴頚。腹部は品、面板、複手、琴の背中、琴の弦と呼ばれています。

うつほ物語
御遊び始まりて、上、琵琶の御琴、仲忠に和琴、仲頼に箏・・・

枕草子
「『無名』といふ琵琶の御琴を、主上の持てわたらせたまへるに・・・

上 し出でたれば、戸の開きたるがあらはなれば、琵琶の御琴

源氏物語 手習 琴の琴

「いで、その琴の琴弾きたまへ。横笛は、月にはいとをかしきものぞかし。いづら、御達。琴とりて参れ」
 と言ふに、それなめりと、推し量りに聞けど、「いかなる所に、かかる人、いかで籠もりゐたらむ。

紫式部日記
四条(の)大納言拍子とり頭の弁琵琶琴はA左の宰相(の)中将笙の笛とぞ。
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堀内レッスン長通信2003 [声楽科]

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2003年堀内レッスン長通信

①2002アンサンブルは定期演奏会以降、高校生男子がCDばかり聞いてられないので休むとよく言っていた。しかし大きな騒ぎにはならなかった。
ところが2003になり9月曲が決まらなかったことで、堀内レッスン長は、結局他の先生も手伝う事になり、担任ひとりで仕切りやがって、バカヤローとクラスで言っていた。わたしにも少し話しかけて来てコレスで二人で少し話したが、バカヤローみたいなことだけで、レッスン長の言いたいことが分からなかった。その内容を今度は田淵さんが何を話したのか堀内くんに聞いていた。音楽史の授業でも堀内君がアンサンブルのことを言いアンサンブル中止だと騒いだ。堀内君は『俺と大和さんWさん田淵さんで決めた』と言っていた。
堀内くんは曲目が変更になったが夏には全然、渡されたCDは聞かなかったと言っていた。最初から やる気ねー と言っていた。わたしは夜間レッスンの内容を聞いたが 堀内レッスン長は無視して教えてくれなかった。
2004年には今度はクラス全員が夜間レッスンに集まらないので、堀内くんはクラスで 定期演奏会本番には両親も来るし、やらなければいけない。これじゃ みんなで 出来ねー と言っていた。

②わたしはクラスでその様な事を言っていても、また来年同じ事になるから、チャント担任にはなしたらと言ったが レッスン長は担任に言ってもしかたがねー 先生が変わればいいんだヨー と言い騒ぐだけだった。ジョナサンではどうせ来年はMさんも居ないし、お筝は誰もやらねー。アンサンブルが無くなれば担任は演奏法だけで、やること無くなると言い、わたしはアンサンブルが生命線だから必死なんじゃないかと言った。レッスン長は最初からアンサンブルなんかやる気ねー。みんなは受験だから定期演奏会以降はアンサンブルは自習にしてほしいと言い、だったらリトミック先生を呼んでみんなで合唱でもやったほうが楽しいのではないかという話になった。

2005にもまた来年からアンサンブルは同じ先生だ。担任が居る以上無理じゃねーか。と言っていた。
しかし、みんなでこのことで話し合ったりはしたことが無かった。わたしは419で何かアンサンブルなどで不都合があれば言ってください と言ったが、音楽科ホームルームでわたしには行事の情報が入ってこないと発言していると、異常に堀内くんや信幸くんが関係の無い話をして妨害するのだ。

アンサンブルで言いたいことがあるならば、みんなで話し合えば良かったのに、堀内レッスン長はわざわざいやがらせや他の先生に告げ口までする様なことをして騒ぎを大きくする必要もないのではないか。いったい何先生が堀内信幸くんに音楽科会議などの情報を流すのか。

 2004年の定期演奏会の直前私が箱中の太鼓の台を数えようとしたら、俺たちがやるからと、堀内君と上田喬子さんが俺が数えたから数えなくて良い、と言った。しかし会場で台が二つ足りずに学校まで担任の車で取りに戻った【太鼓隠し】台風のあたり年


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答えは・・・大和さん [声楽科]

 

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同じ音楽科でも邦楽は、何とか盲学校の音楽科の伝統を守ろうと邦楽の講習会や授業などを取り入れている。盲学校の伝統音楽であるお琴や日本音楽などの授業でも必死に盲人音楽の普及に取り組んでいる。しかし同時にいじめ・吹き込み・口裏あわせ・もみ消しなどは無いと学校は言っていた・・・・YAMATO 大学2007入学隠し 2004アンサンブル隠す

2003年定期演奏会のドンジョバンニの予行や本番でわたしを笑ったクラスメート。・・・2003年アンサンブル中止と騒ぎ立てたクラスメート。・・・2003年、2004年、2005年声楽科演奏会でわたしを仲間はずれにした人。・・・専攻科クラスに入ないわたしを馬鹿にした人。・・・邦楽のブログを見ているのでしょうか。・・・松YAMATO 大学2007入学隠し 2004アンサンブルそれとも自分のクラスメートだけ大切なのでしょうか。・・・YAMATO

答えは・・・おのやま先生が言うから仕方がない。・・・

ew_icon_s302.gif『イタニリーヤは誰を思って歌っている(○○と話した)のかなぁー』(誘って誘われてクラス伴奏、大和先輩)騒ぎ立てて言っていた 。堀之内ジョナサン店では、いたにりーやの話は聞いていない。②文化祭2004 リサイタル=削除2005/10

2006/2 学校から連絡

①わたしは2/9に学校へ連絡をした。わたしはアンサンブルや419や専攻科でのいじめの事や、わたしに対する悪口などを言われていて困ることを学校に告げたことで音楽科より連絡がありました。

②音楽科の回答

音楽科の教員は小野山先生の言いなりにはなっていない。いじめの事実も目撃した教員はいない。
音楽科と校長とで話し合っている。読谷山さん一派がわたしの悪口を言っていた事はみんな知らない。
夜間レッスンでは担当の職員が着いている。声楽などの演奏の行事でMを仲間外れにしたことは無い、との回答でした。

2005年4月私は学校に何度か、廣瀬先生に声楽いじめを訴えに足を運んだ。その時、廣瀬先生に専攻科のみんなには会わないのかと聞かれた。私は、音楽科のみんなが声楽いじめの事を知らないので会えないと答えた。

私が女生徒Yさんにチョツカイをだしたなどと濡れ衣をかぶせられ、クラスみんなからもそのように思われている。学校は生徒にはいじめを隠して話さないと言われた。この状態だったので顔をあわせられませんでした。


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2003年アンサンブル 堀内レッスン長通信


①2002アンサンブルは定期演奏会以降、高校生男子がCDばかり聞いてられないので休むとよく言っていた。しかし大きな騒ぎにはならなかった。

ところが2003になり9月曲が決まらなかったことで、堀内レッスン長は、結局他の先生も手伝う事になり、担任ひとりで仕切りやがって、バカヤローとクラスで言っていた。わたしにも少し話しかけて来てコレスで二人で少し話したが、バカヤローみたいなことだけで、レッスン長の言いたいことが分からなかった。その内容を今度は田淵さんが何を話したのか堀内くんに聞いていた。
堀内くんは曲目が変更になったが夏には全然、渡されたCDは聞かなかったと言っていた。最初から やる気ねー と言っていた。わたしは夜間レッスンの内容を聞いたが 堀内レッスン長は無視して教えてくれなかった。

2004年には今度はクラス全員が夜間レッスンに集まらないので、堀内くんはクラスで 定期演奏会本番には両親も来るし、やらなければいけない。これじゃ みんなで 出来ねー と言っていた。
②わたしはクラスでその様な事を言っていても、また来年同じ事になるから、チャント担任にはなしたらと言ったが レッスン長は担任に言ってもしかたがねー 先生が変わればいいんだヨー と言い騒ぐだけだった。ジョナサンではどうせ来年はMさんも居ないし、お筝は誰もやらねー。アンサンブルが無くなれば担任は演奏法だけで、やること無くなると言い、わたしはアンサンブルが生命線だから必死なんじゃないかと言った。レッスン長は最初からアンサンブルなんかやる気ねー。みんなは受験だから定期演奏会以降はアンサンブルは自習にしてほしいと言い、だったらリトミック先生を呼んでみんなで合唱でもやったほうが楽しいのではないかという話になった。

2005にもまた来年からアンサンブルは同じ先生だ。担任が居る以上無理じゃねーか。と言っていた。
しかし、みんなでこのことで話し合ったりはしたことが無かった。わたしは419で何かアンサンブルなどで不都合があれば言ってください と言ったが、音楽科ホームルームでわたしには行事の情報が入ってこないと発言していると、異常に堀内くんや信幸くんが関係の無い話をして妨害するのだ。
アンサンブルで言いたいことがあるならば、みんなで話し合えば良かったのに、堀内レッスン長はわざわざいやがらせや他の先生に告げ口までする様なことをして騒ぎを大きくする必要もないのではないか。いったい何先生が堀内信幸くんに音楽科会議などの情報を流すのか。

ロイヤルホスト2005/3/卒業式の数日前の木曜日に電話で、金曜日音楽科みんなでロイヤルホストいかないかと言う誘いをI君から受けたが、わたしは行かないと断ると、後ろで堀内情報員がナニナニさん(Wさん)も来るのに来ないのか。俺たちが誘っても来ないのか と言っていた。
わたしは堀内、信幸情報員がいじわるして私の会話を声楽教員に伝えるので断っただけだ。わたしがべつにスーパーでバイトていたので忙しいからではない。背後に声楽一派のいじめがあるからだ。わたしが少しでも女子と話すと今度はその相手を声楽一派がターゲットにして堀内情報員は追いまわすからである。
⑤堀内情報員とは2002の9月ころ話すようになり、文化祭などの話をした。2002の文化祭では昔のクラスのたぶちさん達に仲間はずれにされていた。と語っていた。2004のジョナサンでは今度は男子を仲間はずれにするように同窓会の計画などを一人で企画し、2005年2月ころには田淵さんを学校に呼び専攻科Iくんと合わせる計画をしていた。 2003/2にも柿島さん聴講で学校に来てほしいぜ、といっていた。

私はいじめられた。いじめられた事が分かってくれればいい。わかったという言葉があればいい。 いじめグループは筑波とは関係ないところに行けばいい。 黙っている人は、高麗王の所へは来ない。三ノ輪へ行くべし。

2005年2月堀内くんは音楽史の授業中に俺は4月から鍼灸科だ。『Mさんを学校に来れねー様にしてやるぜ』と言い【4月から寄宿舎生で音楽サークルをつくる。先生にも届け出た。】音楽科の通生も仲間にいれる。『Mさんは寄宿舎生じゃないし卒業だから来れねーぜ』と言っていた。

《《《2004年遠足の行き先の意見が出ずに、『クラス皆で決めてほしい』と担任が言ったので、私がクラス皆に聞いた。クラスの大和さんは『エぇー』なんで私達が決めなければいけないの、と不満の声が聞かれた。受験だからと言う声も聞かれた。結局私と担任で【江戸博物館】にきめた。担任は『私が決めたことを会議にかけても、後でかならず小野山先生が横ヤリを入れてくる。』と言っていた。2003年の遠足も同様だった。逆に2004文化祭の係りでは『私達は文化祭の後予定があるから残る係りはできないと放送係りは断ってほしいとクラスの女子から言われた。』 私は文化祭実行委員だった。これも女子と堀内君から、『私達は受験だから。』と私に実行委員をやるように頼んできた。クラスは備品係りなったが、文化祭実行委員の仕事だからとクラスの一部の人達はあまり手伝わなかった。その後堀内君はまた『担任ともめているぜ』と笑っていた。私は声楽レッスンで、江戸博物館なんかあんなの社会科見学だと嫌味を言われた。国リハ見学の件は堀内君から『見学したいけれど担任に言いにくいからMさんから担任に言ってくれ。』と私に頼んできた。私は以前国リハに行った事があるので同行しただけだ。 また定期演奏会のアンサンブルの組み合わせは通生を除いて知らないうちに寄宿舎生で太鼓のパートナーの組み合わせ決めていた。わたしには一言の話も連絡も無かった。

2004年の定期演奏会直前のアンサンブルの授業で男子が太鼓のバチを折った。時間があまりなく担任は『誰か買ってきて』と419で私達に言った。クラスの大和さんは私の顔を見て『Mさん』と言った。定期演奏会のアンサンブルでも肝心なことは私には伝えてくれない。堀内君はいつも『寄宿舎で決めようぜ』と言いあきらかに勝手に専攻科クラスの一部の生徒で決めてしまう。2011/4》》》

 2004年の秋ジョナサンで堀内君はk君を仲間にいれてI君を仲間はずれにしてやると言っていた。アンサンブルの組み合わせも同様だった。

①2004/11、わたしがアンサンブルで古武道が来た時、『先生に曲を決めて欲しいと言ったこと』で小野山先生はクラスみんなの前で (飼い犬に手をかまれるとはこの事だ。Mが仙堂先生にそう言ったのとクラスに聞いていた。大和堀内君たちが報告していた。)わたしがそのように言ったのは大和、堀内君が『I君を外して組合せを勝手に舎で決めた』からで、仙堂先生はお前らで勝手に決めろと言った。大和堀内くんたちはI君が悪いと言っていた。
悪いのは騒ぐ大和(声)グループでI君に責任転換している。アンサンブル(仙)は三宅太鼓の授業で生徒のことはまったく見ていない。このような状態で古武道を呼んできた。

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